思い出とOutputと僕と

「竜馬がゆく」を読み終えて

遂に読み終えた。ここまでの長編を読んだのはソロモンの偽証以来かもしれない。また時代小説であり史実通りに物語が進むため日本史に明るければネタバレ必須状態であったが、幸い日本史は中学レベルで終わっていたため展開が読めず非常に楽しめた。

司馬遼太郎は時代を大きく動かした人物とはどのような人物なのかを書きたいとあとがきで書いていた。そのため作中は様々な資料から導入された坂本龍馬像が色濃く描かれていた。私はそんな彼から超然主義を感じた。彼の有名な句で世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知るがあるが、これはそんな彼を表した最も的確な句だろう。また彼は師である勝海舟をはじめ、松平春嶽など多くの人物から影響を受け、彼らの意見を龍馬が発信することで時代を動かした。これら行動が時代を動かしたのは超然主義という相反する印象を与える龍馬が行ったからだろう。

さて、一巻から八巻まで印象深い箇所にハイライトをつけていた。今、振り返りたい。
一巻では黒船を見て船が欲しいと感じる龍馬が印象的であった。泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られずと言われた存在感のある黒船に対して、欲が出るのはまさに龍馬と言えるだろう。
二巻では他国の革命とは異なるエネルギーが司馬遼太郎の言葉で書かれていた。やはり西洋とは異なる極東の文化は魅力的である。
三巻では神国思想が幕末を動かしたエネルギーとなったが、その思想が遂には太平洋戦争を引き起こしてしまった。やはり宗教などの思想に訴えかける運動には注意が必要だ。また、龍馬が書き留め下僕の藤兵衛にもよく言っていた死生観の世に生を得るはことを成すにありだ。
四巻では勝と龍馬の流儀である即物的思考法だ。これには非常に共感した。
五巻では龍馬の自己宗教の教義であるおのれを愛することなかれである。無欲な人ほど印象が良く写り、人を惹きつけ大事を成せる。また、彼にとっての攘夷運動とはするめや椎茸の値段を知ることでありその独自性と一貫性が相見える
六巻では思想ではなく利益で薩長同盟を促す龍馬が印象的だ。
七巻で佐幕派に良い顔をしてきた土佐藩後藤象二郎坂本龍馬のおかげで徐々に討幕派としての顔を持ち、さらに彼らの思想は明治に入り自由民権運動として表現される。
八巻では維新後の政府ではなく世界の海援隊として羽ばたくつもりであった龍馬が残した仕事観である。これは非常に良い教訓ではないか。

非常に面白く、直前に燃えよ剣を読んでいたため佐幕派として読み始めたが、大政奉還が起こり近江屋事件が近づくにつれて名残惜しさを感じている自分に気がついた。次は飛ぶが如くでも読もうか。