思い出とOutputと僕と

「峠」を読み終えて

映画燃えよ剣で完全に幕末にハマり、以降司馬遼太郎の作品を読むようになった。先月峠 最後のサムライという映画が上映されることを知り、急いで本作を手にとった。私は日本史に明るくないため、そもそも越後長岡藩がどこに位置するかも、河井継之助がどのような人物かも知らないまま読み進めた。そのため先入観がない状態で司馬遼太郎が描く河井継之助を堪能することができた。また、河井継之助の最期を知らなかったため非常に感傷的にもなった。

河井継之助という人物は変わっていると思う。上巻で描かれていたが、30代まで書生として全国の偉人と話す。彼が幕末の偉人で一番尊敬したであろう山田方谷という備中松山藩の家老(?)にさえも、彼のその環境を憂いていた。そしてその自己認識の高さから長岡藩の筆頭家老(執政)になるための準備ができていた。時勢を読む力も想像力もあるため、彼の出身が越後長岡藩という東日本の小さな藩ではなく、せめて西国側であれば明治以降もその器量を発揮できたと非常に思う。これは作中に何度も書かれていたことではあるが。

私は燃えよ剣から竜馬がゆくなどを読み、ぼんやりとサムライ像を形成してきた。それは欧州の騎士とは違い、主君に尽くす、という考えだと思っていた。しかし本作でどう行動すれば美しいかという江戸の武士道倫理を感じれた。あとがきにもあるが河井継之助は長岡藩の、ひいては徳川幕府のために書生時代から培った器量で正義を貫こうとした。しかし最期は陽明学教徒ではなく、侍として最期を迎えた。その美しさに感動した。

峠 最後のサムライはまだ上映中なのでこの週末にでも見に行きたい