思い出とOutputと僕と

「竜馬がゆく」を半分読み終えて

燃えよ剣から司馬遼太郎の時代小説、強いては幕末本にハマってしまい竜馬がゆくを現在読んでいる。しかしながら8巻まである長編ものであり、たまたま先日氷川の勝海舟旧邸跡に立ち寄る機会と5巻に突入したことから、一旦書き出してみた。

近頃話題の鬼滅の刃風に論じると4巻までは坂本龍馬立志編であると言えるであろう。またこの竜馬がゆくでは龍馬を語る上で非常に時勢というものを大事にしており、そのため薩長土の動きや徳川幕府について多く語られている。その中で印象深いのは革命には宗教が必要であり、尊王攘夷とは全くもって宗教の一つであるということだ。この底無しの源があるからこそ凄まじくエネルギーが必要な変換が行われるのだ。すなわち大きく変わるには宗教に近い、思想的に訴える必要があるのではないか。

坂本龍馬の人物像で羨望に近い憧れを感じるのはその超然主義である。生い立ちがそのようにさせたのか、はたまた先天的なものかは知る人ぞ知るが、人に左右されやすくいわゆるミーハーな私はその超然主義座右の銘としたい。

平和な時代に生まれた私は為せるだろうか。それこそ上杉鷹山為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけりである。